何を力に変えるか。

人は行動するために、エネルギーが必要です。エネルギーというと栄養と捉えられるかもしれませんが、この場合のエネルギーはいわゆる「きっかけ」の事です。このきっかけに気づけるかどうかは大きいと思います。

最近私の身近で不幸がありました。同級生の死です。彼は幼稚園からの友人の一人であり、中学校まで一緒でした。彼と私は同じクラスになったことがなかったため、実際にそんなに話した機会は多くはありませんでした。それでも彼が今までがんばってきたところは長く見ていますし、馬鹿やっているところも見ていました。そんな彼の訃報。初めての同級生の死。様々な感情が入り交じり、悲しみ、彼とともに過ごした数年間で楽しかったこと、何もしてやれなかった自分への怒り、彼の苦悩への自己投影。様々な感情の中で私が知ったことは、「死んだら終わり」ということです。

生きていれば、足掻けば、必ず活路は見えてきます。しかし足掻くのにはエネルギーが必要です。エネルギーを見出せなければ、飲み込まれ、足蹴にされ、そして思考は停止します。彼の死は本当に辛いものだし、今でも涙がこぼれます。でも悲しみにのまれ、絶望の淵に立っては、大事なものを見失ってしまいます。だから私は、彼の死から、彼の生きざまから学ばなければなりません。悲しみに蓋をして、すべてを忘れ、忘却の彼方へ消え去るのは、本当の意味で彼を弔うことにはならないと思います。

何もかもを受容せよ、とは言いません。でも自分の感情が動いた時に、自分が最も知りたい何かのきっかけがあるのではないかと思います。以上