心のざわざわ② 共感性羞恥、過剰同調性編

約4か月ぶりの更新。

題名の通り私は共感性羞恥、過剰同調性の気があります。

共感性羞恥については、私の場合自分の中で前提条件や置かれた環境内で起こったもの、つまり突発的なものでなければあまり感じません。この為、スプラッター映画だったり、ホラー映画だったりアクションで多少グロテスクな表現があっても多少目を背ける程度です。しかしこれらの映画内で急に恋愛系が入ってきたり、お笑い芸人の中で急に一般人が振られたりすると、とっさにチャンネルを変えたり音を0にします。理由についてははっきりとはしないのですが、恐らくその人(その場面)に自己を投影してしまうからではないかと思います。そしてこの対象が"他人"だからというのも大きな特徴です。意外かもしれませんが自分が失敗したり、恥をかいたりすることについてはそこまで強い拒否感は出ません。自分の感情の波があり、過去で起きた経験があり、そこで物事が起きている実感があります。しかし他人の事になるとこの想像はとんでもなく極端になります。その極端な感情を自分に向けることにより、実感を伴う恥ずかしさよりも強い、"恥ずかしさ"を伴っているのかもしれません。

過剰性同調性についてなのですが、以前よりこの傾向は弱まりました。

以前の私は他人の"負"の感情に本当に敏感でした。それが家族であってもです。別に親から何かされたわけでもありませんし、一般的に凄く幸せな家族だと思っています。それでも家族内でケンカは起こります。そういった場面での私の対応は火種が起こりそうなところに自分を割り込ませる、といったことです。感情の高まりが不穏になってきたら、親であってもなだめたり割り込んだりを当然のように行ってきました。家族は割と気が強いのでクッションの役割が必要だったのです。これは家庭の外でも一緒でした。人の表情や声色、仕草、行動で感情が何となくですが感じ取り、場が悪くなることを極端に嫌いました。いつしか周りからの私の評価は"優しい"というものになってしまいました。

ここまで読んでくださった方は普通だと思ったでしょうか?私は今ようやく自分自身と向き合っています。20年近く生きてきてようやく自分と向き合えたのです。その弊害に目の前の事に向き合えなくてすごく苦しいですが(笑)

あくまで私はこう思うよ、という考え程度です。しかしあなたの周り、もしかしたらあなた自身がこのような特徴があるかもしれません。そんな方が私の気持ちの数%でも理解してくれたらと思います。稚拙な文章で申し訳ありませんでした。