映画レビュー ~ブルゴーニュで会いましょう~

評価としては佳作、といったところ。内容、映像ともに良作レベルだったが、如何せん締めのカットが本来伝えたかったものからずれてしまった感じ。内容は以下の通り。

bourgogne-movie.com

映像は実際のブルゴーニュ地方の映像が中心で、美しい農園が随所に見られる。また建物も我々が想像するようなレンガ造りの家々が映し出され、まるで自分がそこにいるような映像美だった。

この作品で伝わったものは自分を貫く覚悟とそれの難しさ、また家族の絆と農園(ブドウ、ワインを含む)の美しさである。

家族との不和を残しながらも自分の道で成功した主人公、伝統と自分の父にがんじがらめながらも農園を守り続けてきた主人公父、主人公たちの隣の農園で成功したワイナリーの娘で結婚を控えた幼馴染。彼らは互いに最初は素直になれず、すれ違うばかりだが、ワインに真摯に向き合うことで徐々に家族として、そしてひかれあう者たちとしてつながりを強くしていく…。

過程は非常に分かりやすいし、映像もよかった。しかし最後のシーン。結婚したが異国の結婚相手と母が打ち解けられず、また自分は自分の土地で生きていきたいと願い、異国へ渡らず残った幼馴染と、自分の考えを信じ素晴らしいワインを作り上げ、父との関係を修復した主人公が農園で抱き合って終わる。美しいかもしれない画だが、ん?と思う。ここまで様々なものをつなぎ、乗り越えさせたワイン或いはブドウへの思いはどこへ行ったのか?正直途中でこの二人がくっつくだろうな、とは皆が思っていただろう。最も重視すべきブルゴーニュという地方の素晴らしさ、ブドウの素晴らしさ、ワインの素晴らしさ。これらで締めるのが最も美しいのではないだろうか?

最後の最後でただのヒューマンドラマになってしまったのが残念だった。以上。

文系脳。理系脳。

さて、今回何を書こうかと思いましたが、今回は文系脳、理系脳について書いてみようと思う。シャワー浴びてるときに思いついたのであくまで参考としてご覧ください。

文系脳、理系脳の最大の違いは何だと思いますか?私は興味の問題だと思う。何に興味を持つか。主に文系脳は人間に興味を持ち、理系脳は人以外に興味を持つのだと思う。理由としては、文系脳は主に不規則なものに興味を持ち、理系脳は主に規則的なものに惹かれると考えたからだ。さて、ここで重要なことは、「主に」という言葉です。必ず、いやそんなことはない、私は文系だが、理系だが、という人が現れるでしょう。当たり前である。100%文系、理系脳の人はこの世の中で中々現れない、現れることが出来ないと思う。その理由はどちらであれ社会で生き、人と交流するからだ。社会は何かしらな法則に従って、生活は流れている。逆に人間は行動に規則性が絶対的には見られない。それに対応するために人間は二つの脳を持つ。それが文系脳、理系脳である。

もっとわかりやすい例を挙げよう。理系の中で最もなるのが難しいと言われる職業は「医師」だ。しかし医師は人間の変わりゆく症状に対応する。基礎的な知識は理論的にまとめ上げるが、現場では流れゆく時間に抗うことになる。反対に文系ではどうか。「弁護士」で考えてみよう。弁護士は人の心情に訴えかけるところがある。しかし彼らはあるものの下に働いている。それが法律である。どれだけ相手が悪かろうと、どれだけ悪いことをしても、そこには法律という固い「枠」がある。

あくまで例としてこの二職をあげたが、恐らくそれぞれの職でより重視される「脳」は違うだろう。もしも文系か理系か迷っている方がいるならばあくまで参考程度に考えの隅にでも置いておいてもらいたい。

私の自己分析では私の脳は6:4あるいは7:3で文系有利だ。

因みに今回の文章は私の理系脳で書かれた文章である。一応自分としては今回の文章は文末を「です。ます。」口調にしなかったことで、区別したつもりだ。あなたは文章を見て何を感じましたか?以上。

始まりの一歩。

今回は以前書こうと思った、私の夢について書きます。

私は「感情」そして「音」が好きだと書きました。これ以外にも私は「言葉」そして「映画」が好きです。映画だけやけに具体的だと思った方もいるでしょう。これについては後程触れます。

さて随分急に話がズレますが、あなたは自分の感覚のどこに重きを置いていますか?「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」。人はこの五感で物事を感じ取っていると言われます。第六感的なものもあるとは思いますが今回は除外します。私の場合、この五感の中で最も重きを置いている感覚は「聴覚」です。勿論ほかの感覚も大事にはしてますが、順番を付けるなら、聴覚>嗅覚>視覚>味覚>触覚の順です。

何故聴覚なのでしょう。これは本当に分析しようがありません。視覚的情報から人を感じることもあるのですが、人の好みや合う、合わないに関しては、その人の声質や話し方、声の強弱といった「耳」から入る情報、併せてその人の体臭や付けている香水の匂いなど「鼻」から入る情報を重視してしまうのです。人は8割以上の情報を「目」から得ると言います。しかし私は残り2割が人の本質を表す部分なのではないか、とも考えています。

さてさて話を戻しましょう。私が「映画」が好き、ということなのですが、正確には「ほかの世界に行く感覚」が好きなのです。私は昔からファンタジーやSFに目がない少年でした。その世界に行くため、それらの本を読み漁ってました。驚くべきことなのですが、これもほんの先ほど思い出したことなのです。小学校の時は、学外でサッカーをしていた傍ら、学内では本を読んでいました。中高はサッカーばかりで本など読まず、読んでも教科書くらいでした。今はというと、暇さえあれば本屋に行く程度です。それが最近は映画にシフトしただけなのです。本質は「ほかの世界への憧れ」です。つまりあわよくば、その世界の住人になってしまいたい、ということなのです。

話をまとめましょう。私の好きは「感情」「音」「言葉」「他の世界(映画等)」。私はこのブログを始めたときに書きました。「好き」を仕事にしたらよいのでは?それが最も伸びる、と。勘のいい方ならもしかしたら気づいたかもしれません。ええ、馬鹿なことを言っていることは本人が一番わかっています。まだ親にもこの気持ちを伝えていません。しかし私は、敢えて言葉にします。私は「声優」になりたいのです。なんだ、ただ声優になりたい頭すっからかんな馬鹿のブログか。そう思っていただいても構いません。でも、それでも、何をやってても、頭から離れないのです。私の父は言いました。「人に動かされるのではなく、動く、動かす人間になれ。」と。物理的に動かすことも大事だと思います。けれど私は他の人の「心」を動かせる人間になりたいのです。

 

さて、タイトル通り私は今日、といっても日付が変わってしまいましたが、一歩前に進みました。youtubeへの自分の声での投稿です。題目は「外郎売」。自分の声を世界中に発信する、身近ででも恐ろしいサイトです。へたくそですし、かみかみで、目も当てられないと思います。でもこれが今できる精一杯の「外郎売」です。等身大の私です。これから輝く原石だと自分自身思っています。「日々是決戦」。こんな思いです。少しでも上手に、そして役を前に出せるように努力を重ねていきたいと思います。リンク貼りました。興味ある方はぜひ聞いてください。そして感想などお聞かせいただければ幸いです。以上。

幽霊よりも人が怖い。

2本連続で投稿します。

今回も映画レビューをします。今回見た映画は「Don`t Breathe」です。話題にもなっている映画なのでご存知の方も多いと思います。あらすじとしては、ある若い3人組がお金に困り、強盗をする。今回狙う家は退役軍人だが盲目だから楽な仕事だろう。しかし現実は非情だった。実はこの退役軍人は…。という感じのホラー?サイコサスペンス?な映画です。たまに息抜きとしてホラー系の映画は見るんですが、やっぱり怖いですね。ビックリ系ではあるんですが、何といっても何が一番怖いかというと、侵入されたおじいさんではなく、侵入した若者に感情移入しちゃうことですね。はやくおじいさんを倒してくれ、排除してくれ、なんておもちゃうんですよね。普通侵入した側は懲らしめられて当然、と思うのですが余りにおじいさんが怖すぎるんですよね。思考回路にせよ、即断即決具合にせよ、正直いかれてます。そしてかなり強い。

本当に怖かったです。最後も不気味さが残る終わり方でした。やっぱり人間怖いです。

そういえばあの女性どうやって連れてこられたんでしょうね。もしかしたら…。なぁんてね。

 

P.S.そういえば今日ボルタリングを初めてしてきました。非常に面白いとは思うのですが、恐らくはまりはしないと思います。幾分身長が小さいのでその分頑張って頭を使って登ってはいたのですが、隣で身長の高い方がスイスイっと登られるのを見るとなんとなくもやもやしてしまいました。(´・ω・`)←こんな感じです。

高田世界館とこの世界の片隅に。

昨日の続きを書きます。

高田世界館は珍しい2階席がある映画館です。普段人の頭が前にあるのを嫌って、大体前方に席を陣取るのですが、今回は105年の歴史を感じながら映画を見たい、と思っていたので敢えて2階席の斜めから見るような格好で映画を見ました。

支配人による上映時の注意から始まった映画に私は涙を隠せませんでした。決して凄い設備が整っている映画館ではありません。スクリーンもほんの少し汚れているし、音響も普通の映画館の方がよっぽどいいでしょう。しかし、何か私の中でこみあげてくるものがそこにありました。

この世界の片隅に」は、第二次世界大戦下、広島の広島市から呉市にお嫁に行った「すず」という女性を中心とした家族のお話です。すずという普段ぼんやりとした女性が、急に結婚することになり、故郷とは違う町で暮らすことになり、様々な問題を抱えながら、戦時下でも「普通」に生きていく、というのが前半のストーリーです。なんとなくほのぼのとする展開ではあるのですが、あくまでこのお話は「第二次世界大戦下」のお話です。否応なしに「普通」の暮らしをしていたすずも「普通」から引きはがされます。あの絶望感というか喪失感は言葉に表すことのできない苦しみを感じましたが、こう言うと反感を買うかもしれませんが、素晴らしい表現だったと思います。更に、皆さんご存知でしょう、原爆投下。見ていた人は思っていたでしょう。「あぁ、今からとんでもないことが起こる。」「お願いだから、どうか。」様々な思いとは裏腹に、余りにも急に広島に災厄が落とされました。もうここからは、感情の渦に飲み込まれそうでした。しかしこの作品、最後はいい終わり方をするので、悲惨なものだととらえないでください。

出来る限りネタバレをしない程度に内容に触れましたが、私が思ったことは「歴史が私たちを支えている」ということです。第二次世界は今から72年ほど前です。そして高田世界館は今から105年前に作られました。私は実際に起こった出来事を基にした映画を、それを直接見た映画館で見ることが出来たのです。涙が止まらなかったことは言うまでもないでしょう。

 

さて、大寒波の中、衝動的に動いたこの旅は無事終わりを迎えました。たまには衝動的に動くのもよいのではないでしょうか。

 

P.S.今回敢えて写真は撮りませんでした。歴史を感じたい方、映画が好きな方、是非とも足を運んでみてください。

※注意 慣れない雪道の運転は非常に危険です。出来れば、雪が解けてから行った方が安全だと思います。

日本最古の映画館を訪ねて。

皆さん、「高田世界館」という映画館を知っていますか。日本で最も古い映画館であり、現在も映画を上映している105年の歴史を持つ建物です。と、偉そうに言いましたが、私がこの映画館を知ったのは今日の事です。

きっかけは、夜寝る前に少しテレビでも見ようと、チャンネルを回している時でした。古い映画館の特集がやってました。先日、「傷物語」のレビューを書きましたが、何を隠そう私、映画が昔から大好きなのです。勿論興味をひかれました。現在の支配人は28歳の方で、始めたのは2年ほど前の事。「まだまだこの建物に比べたら新参者ですよ。」若い支配人が言った一言に私はより興味を抱きました。こんな映画館が近くにあるのか。そう思って調べてみると、今話題となっている「この世界の片隅に」をやっているではないですか。この映画は以前一度見たのですが、もう最後は涙ボロボロで、素晴らしい映画だと絶賛していました。そんな映画なので、もう一度見たいとは思っていたのですが、まさかこんなタイミングでまた巡り合うなんて、と思いながらそのあとすぐに飛び出して、高田世界館に向かいました。

まあ道中、大寒波に見舞われて死にかけたり、事故りかけたりしましたが、無事何事もなく到着しました。

商店街の中にあり、細い路地を歩くと入り口がひっそりとありました。今は無くなってしまいましたが、昔のうちの近くにあった小さな映画館を思い出し、懐かしさを感じていました。入り口を開けるとすぐに受付があり、手渡しで券が渡され、ロビーに足を踏み入れました。

 

次回に続きます。

田舎っぺとして。

思ったことはすぐに書こうと思う。

私は現在雪が多く降る場所に住んでいる。雪になじみのない方にとって、雪とは幻想的なものであり、きれいなものだろう。雪といえばスキー、スノボ、雪だるま。そんなところなのかもしれない。しかし豪雪地帯に住む者にとって、雪とは我々をいろんな意味で殺しにかかってくる化け物なのだ。雪が降れば、雪かきをしなければならない。都会に住む皆さんと違い、田舎の大抵の足は車である。車が動かなければ仕事にも行けない、買い物にも行けない、やりたいことが出来ない。それが田舎なのだ。怠け者は死に働き者が生き残る。まぁ実際のところ本当に死者が出ることは稀だし、基本は助け合う。ただし気を付けてほしい。基本的に人は自分のために生きる生き物だ。自分自身の為にやったことが、たまたま人の為になったに過ぎない。これが奇妙な「協力」という形になっているだけだ。始めから人に期待して、自分が動かないなど言語道断である。もしも本当に田舎に住みたい、と思っている方はその辺を覚悟してきてほしい。

さて、ここまで歪んだ田舎っぺによる主張を述べてきたが、結局のところ私が何を言いたいかというのは、田舎っぺはもっと自分たちに自信を持つべき、ということである。現在多くの事で何をするにも都会に行かなきゃだめだ、とにかく都会にでなきゃ。そういう風潮がある。実際都会に行けば多くのチャンスが転がっているだろうし、田舎よりは便利な暮らしが待っているだろう。実際私も東京にすぐにでも出ていってやりたいことがある。でも本当に都会に行けば、好きなことは見つかるのでしょうか。やりたいことは転がってくるのでしょうか。多くの人はそこで適応してしまい、結局他人と同じように生きることを強いられるのです。

ではなぜ私は田舎っぺに対して、自信を持てなど言うのでしょうか。答えは簡単です。田舎っぺは、都会の人とは比べ物にならない、自然の中や逆境の中で生きるための術を様々な環境から見つけ出しているからです。田舎っぺは、上でも述べたように動かなければ自分の首を絞めます。だから生き残る術を必死で考えるのです。どんな小さなことでも、問題解決のため頭を使っているのです。だからこの考える力を、自分が好きだと思っているものに対して、行使したらよいのです。

こんなことを言っていると、都会の人よりも田舎の人のほうが優れていると思っているんじゃないか、と言われるかもしれませんが、田舎の人には最大の弱点があるのです。

それは非常に保守的なのです。正確には今の生活とは違ったことや奇抜なもの、人と違ったことをすることがあまり得意ではないのです。この理由としてはあまりにコミュニティが狭く、自分の情報があまりにも簡単に広まってしまうからだと考えています。だから田舎の人は、人と同じことをするのが当たり前、という思考が刷り込まれてしまうのです。

私は「安定」というのが良いことだとは思いません。「現状維持」に勤しむのはただ考えることを放棄したことだと思います。だからこそ、一歩自分の好きなことに踏み出すことが大事なんだと思います。もしも今自分にとって一歩を踏み出せないなら、その一歩を踏み出すための準備をしたらよいのです。

今の時代本当に便利な世の中だと思います。都会じゃなきゃできないことなんて、どんどん少なくなっていると思います。だから田舎に生まれたことを悲観するのではなく、自分の成功の為に都会を利用するくらいの気持ちで夢への準備をしましょう。

ブログを始めてよかったと最近本当に思います。

自分の思考が深く鋭くなりつつあることが、最近一番楽しいです。